〈尼子晴久〉存命中、毛利に石見銀山を奪わせなかった

天文7年(1538)攻略、天文12年(1543)奪回、弘治元年(1555)厳島の戦い直後に電撃的に再奪取。弘治2年(1556)忍原崩れ、永禄2年(1559)降露坂の戦いで毛利軍を撃破し、山吹城に本城常光を置いて防衛した。毛利氏が銀山を確保するのは晴久死後の永禄5年(1562)以降である。銀山収益は軍資金・造営・貿易の基盤となり、晴久の経済感覚を示す事例として近年重視される。

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