〈尼子晴久〉月山富田城で大内義隆の大軍を撃退した

天文11〜12年(1542–43)の第一次月山富田城の戦いは同時代史料・諸記録から確実。長期戦で疲弊した大内軍は、寝返っていた国人衆(三刀屋・三沢・吉川ら)の尼子方復帰で崩壊し、退却戦で大内晴持が溺死、小早川正平は戦死、毛利元就・隆元父子も辛うじて脱出した。大敗から2年足らずでの本国防衛の大勝は、「凡将」評への最大の反証の一つ。

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