最上義守
もがみ よしもり 1521〜1590
出羽中野城主・中野義清の二男に生まれ、大永2年(1522)、わずか2歳で最上宗家の家督を継ぐ。伊達氏の従属下から天文の乱に乗じて自立し、村山盆地の盟主として最上家を中興。嫡男・義光との相剋(天正最上の乱)を経て和解し、隠居の身で孫・政宗の時代の到来を見届けた。
ゆかりのお城
最上義守の逸話
- 〈最上義守〉わずか2歳で最上宗家の家督を相続した
- 〈最上義守〉伊達の傀儡だったが、天文の乱に乗じて自立した
- 〈最上義守〉焼かれた立石寺を再建し、延暦寺の分燈を受けた
- 〈最上義守〉寒河江攻めで勢力回復を図った
- 〈最上義守〉将軍足利義輝に謁見し「御所」として遇された
- 〈最上義守〉義姫を伊達輝宗に嫁がせ、政宗誕生の「立役者」となった
- 〈最上義守〉義守の死が、義光の小田原参陣を遅らせた
- 〈最上義守〉義光との不和と家督譲渡 — 時期には大きな異説がある
- 〈最上義守〉天正最上の乱の原因は「次男・義時への家督継承」なのか
- 〈最上義守〉危篤の床で伊達・最上両当主に訓戒を与えた
- 〈最上義守〉「中野義時」は実在したのか — 実在論争