〈最上義守〉義光との不和と家督譲渡 — 時期には大きな異説がある
通説は元亀元年(1570)頃の不和と同年の家督継承(義光の立願は「立石寺文書」元亀元年正月)。だが義守の隠居に触れた牧野久仲宛書状は、久仲が元亀元年4月に失脚する前でないと辻褄が合わず、隠居を永禄年間(粟野敏之説では永禄4年頃)に遡らせる説が有力化している。隠居時期が動くと「天正最上の乱=家督争い」という従来像も崩れる。
通説は元亀元年(1570)頃の不和と同年の家督継承(義光の立願は「立石寺文書」元亀元年正月)。だが義守の隠居に触れた牧野久仲宛書状は、久仲が元亀元年4月に失脚する前でないと辻褄が合わず、隠居を永禄年間(粟野敏之説では永禄4年頃)に遡らせる説が有力化している。隠居時期が動くと「天正最上の乱=家督争い」という従来像も崩れる。