小山田昌行
おやまだ まさゆき ?〜1582
武田信玄・勝頼の二代に仕えた譜代家臣。「小山田備中守」として知られる。確実な文書で確認できる実名は「昌成(まさなり)」で、「昌行」は『甲陽軍鑑』等の編纂物に見える表記(「昌重」とする所伝もある)。天正10年3月2日(1582年4月3日)、高遠城で仁科盛信の副将格として奮戦し討死した。
ゆかりのお城
小山田昌行の逸話
- 〈小山田昌行〉実名は「昌行」ではなく「昌成」
- 〈小山田昌行〉小山田信茂とは別系統の「石田小山田氏」
- 〈小山田昌行〉高遠城の抗戦は武田方唯一の組織的抵抗
- 〈小山田昌行〉落城は天正10年3月2日(1582年4月3日)
- 〈小山田昌行〉長篠で松平伊忠を返り討ちにした
- 〈小山田昌行〉高遠城で深手を負いながら戦い続けた
- 〈小山田昌行〉降伏勧告の使者の耳鼻を削いで送り返した
- 〈小山田昌行〉「裏切りの信茂」と対比される「忠節の小山田」像
- 〈小山田昌行〉兄弟・親族関係の史料的混乱
- 〈小山田昌行〉真田家臣・小山田茂誠は昌行の子孫を称した
- 〈小山田昌行〉「甲州武士の名を後代に残さん」と誓った
- 〈小山田昌行〉父虎満の「備中守の築いた城は落ちない」