〈小山田昌行〉「裏切りの信茂」と対比される「忠節の小山田」像

同じ天正10年3月、郡内小山田氏の信茂は勝頼を岩殿城に迎える約束を破って離反した(信茂自身も後に織田方に処刑)。「同じ小山田でも片や裏切り、片や忠死」という対比は江戸期の軍記読み物以来語られ、近代以降「忠節の小山田」像として定着した。討死は史実だが、「忠臣/逆臣」の二項対立的評価そのものは後世の物語的枠組みである。

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