太田資正
おおた すけまさ 1522〜1591
扇谷上杉氏家臣・太田資頼の次男。河越夜戦での主家滅亡後も反北条の旗を降ろさず、上杉謙信の越山に呼応して関東反北条勢力の結節点となった。嫡男・氏資のクーデターで岩付城を追われた後は佐竹義重の客将として常陸片野城に拠り、天正19年(1591)、北条氏滅亡の翌年に同地で病死した。
ゆかりのお城
太田資正の逸話
- 〈太田資正〉三楽犬・第1層 — 「犬の入替え」は実際に行われた
- 〈太田資正〉松山城奪回と岩付城奪取(1547)
- 〈太田資正〉嫡男・氏資による追放(1564)
- 〈太田資正〉謙信との絶交と和解
- 〈太田資正〉沼尻の合戦と次男・政景の離反(1584)
- 〈太田資正〉三楽犬・第2層 — 犬50匹×2と竹筒の書状
- 〈太田資正〉「太田道灌の曾孫」という家系
- 〈太田資正〉手這坂の戦いと小田城占領(1569)
- 〈太田資正〉秀吉への謁見と「岩付返還の約束」
- 〈太田資正〉秀吉への「猪鹿懸かり」諫言
- 〈太田資正〉三楽犬・第3層 — 「それより松山に一揆なし」
- 〈太田資正〉三楽犬・第4層 — 白文の陰書、風魔、「日本初の軍用犬」
- 〈太田資正〉「犬好きのうつけ者」という世評
- 〈太田資正〉「七十九戦・一番槍二十三回」と直江兼続の賞賛