神余親綱
かなまり ちかつな ?〜1580
上杉謙信の京都雑掌(在京代官)として朝廷・幕府との折衝、贈答・献上、青苧交易の実務を担った。天正5年(1577)頃に越後三条城主となるが、謙信急死後の御館の乱で上杉景虎方に付き、天正8年(1580)、景勝方の調略に応じた城内の内応者に討たれた。
ゆかりのお城
神余親綱の逸話
- 〈神余親綱〉謙信の「京都雑掌」として朝廷・幕府交渉の窓口を務めた
- 〈神余親綱〉天文21年(1552)、将軍義輝から御内書と太刀を拝領
- 〈神余親綱〉青苧交易の奉行として謙信の軍資金を支えた
- 〈神余親綱〉洛中に拠点を持ち、情報収集・贈答実務を差配した
- 〈神余親綱〉景虎自害後も抵抗を続け、天正8年(1580)に城内の内応者に討たれた
- 〈神余親綱〉天文22年(1553)、謙信初上洛で後奈良天皇拝謁を実現させた
- 〈神余親綱〉天正5年(1577)、三条城主に抜擢された
- 〈神余親綱〉御館の乱で当初は景勝方に付き、のち景虎方に転じた
- 〈神余親綱〉「三条手切」— 防備強化を景勝に疑われて決裂した
- 〈神余親綱〉安房の神余氏の末裔である
- 〈神余親綱〉官途は「隼人佐」、祖父・父と三代で雑掌を世襲した
- 〈神余親綱〉「外交僧」だった
- 〈神余親綱〉「戦を知らぬ文官が戦乱に翻弄された悲劇」という人物評