〈神余親綱〉「三条手切」— 防備強化を景勝に疑われて決裂した

天正6年5月1日の景勝方との断交(三条手切)は書状から追える史実。ただし「蘆名氏への備えとして防備を強化したところ、無届けを叛意と疑われた」という因果の説明は限られた書状の解釈に基づく再構成で、最初から景虎方へ付く意図があった可能性も排除できない。

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