〈神余親綱〉景虎自害後も抵抗を続け、天正8年(1580)に城内の内応者に討たれた

景虎自害(1579年3月)後も本庄秀綱とともに降伏せず、黒滝城攻撃という攻勢にすら出た。乱の終息は天正8年の秀綱・親綱の掃討をもって完了したというのが御館の乱研究の共通理解(当サイト景勝ページと同枠組み)。ただし直接討った人物の名、正確な月日、自害か討死かの別は史料がなく不明。「山吉旧臣の内応」という筋書きは信頼できる記録に基づくが、場面の詳細描写はすべて後世の肉付けである。

関連

〈神余親綱〉景虎自害後も抵抗を続け、天正8年(1580)に城内の内応者に討たれた | デジタル城下町 お城図鑑