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「〈武田勝頼〉信玄を超える最大版図を築いた」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する
なぜこの問いか
武田勝頼にまつわるこの逸話は、図鑑では「史実」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。
図鑑の現在の記述・確認してほしい点
図鑑の現在の記述(区分: 史実): 天正2年(1574)、東美濃18城砦を攻略し、信玄が落とせなかった高天神城を陥落させて東遠江をほぼ平定。この時点で武田氏の領国は史上最大となった。平山優はさらに、長篠敗戦後の天正7〜9年に「武田氏最大規模の領国」を築いたと評価し、「長篠敗戦=滅亡の直接原因」説を退けている(最大版図の時期には諸説)。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。
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ほかの回答(スコア順)
出来事は史実だが「史上最大の版図」は評価。同時代史料『信長公記』は明知城と高天神城の件を記すが「18城砦」「最大」は書かず、時期も天正2年説と天正7〜9年説がある。