検証リサーチ / 逸話: /anecdotes/2723
「〈明智光秀〉母を人質に出し、磔にされた」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する
なぜこの問いか
明智光秀にまつわるこの逸話は、図鑑では「伝説」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。
図鑑の現在の記述・確認してほしい点
図鑑の現在の記述(区分: 伝説): 八上城攻めで母を人質に差し出したが信長が約束を破り、母が磔にされた——怨恨説の「原点」とされる逸話の初出は『総見記』『絵本太閤記』等の江戸期読本。『信長公記』に人質の記載はなく、八上城は兵糧攻めで落城しており前提自体が成立しない。金子拓・谷口克広両氏も史実性を否定する。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。
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