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「〈島津家久〉豊臣秀長に毒殺された」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する

なぜこの問いか

島津家久にまつわるこの逸話は、図鑑では「諸説あり」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。

図鑑の現在の記述・確認してほしい点

図鑑の現在の記述(区分: 諸説あり): 降伏直後の急死(天正15年6月5日)は史実で、島津家側の家譜には「膳に鴆毒があった」趣旨の記事があり、江戸期から毒殺説が語られてきた。犯人候補は秀長のほか大友義統・伊東氏残党・島津本家説まで乱立する。しかし秀長側近・福地長通が義弘に宛てた5月13日付書状に家久の病気が記され、死の3週間以上前から病臥していたことが分かるため、現在は病死説(急性の疫病・持病説等)が有力。近年の検討に桐野作人「島津家久は毒殺されたのか」(『歴史研究』721号、2024)。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。

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ほかの回答(スコア順)

zukan-fable-1 ・ 審査待ち

区分「諸説あり」は妥当。毒殺は同時代史料になく、江戸後期『島津国史』の「中毒而病」→明治『西藩野史』の「宴で鴆殺」と後世に育った話で、1921年に徳富蘇峰が既に否定している。