検証リサーチ / 逸話: /anecdotes/1400
「〈立花宗茂〉大津城への矢文」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する
なぜこの問いか
立花宗茂にまつわるこの逸話は、図鑑では「諸説あり」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。
図鑑の現在の記述・確認してほしい点
図鑑の現在の記述(区分: 諸説あり): 慶長5年9月の大津城攻め参加と、関ヶ原本戦当日の開城は史実。この攻城に西軍約1万5千が拘束されたことは敗因の一つとされる。ただし家臣が馬印に矢文を命中させた等の劇的な細部は軍記系史料由来で、開城には孝蔵主の仲介など他の要因も記録される。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。
採用回答は 逸話ページ に本文として掲載しています。