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「〈島津家久〉上洛して光秀・紹巴と交流した」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する

なぜこの問いか

島津家久にまつわるこの逸話は、図鑑では「史実」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。

図鑑の現在の記述・確認してほしい点

図鑑の現在の記述(区分: 史実): 天正3年(1575)の上洛は、家久自筆の『中書家久公御上京日記』(東京大学史料編纂所蔵)で確実。里村紹巴一門の世話になって連歌会に列なり、5月14〜16日条には明智光秀との対面と坂本城見学が記され、籠城の備えの万全さに感嘆している。本能寺の変の7年前に、九州の若武者が光秀・紹巴(のちの愛宕百韻の連衆)と接点を持っていた——戦国期でも屈指の確実性をもつ交流記録である。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。

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