青山忠俊
あおやま ただとし 1578〜1643
徳川家康の側近・青山忠成の子として遠江浜松に生まれ、秀忠・家光の2代に仕えた。3代将軍家光の傅役・老中として幕閣中枢に入るが、家光の将軍就任直後に突如失脚。上総大多喜への減転封を経て改易され、赦免後も幕政に戻らないまま相模今泉で生涯を閉じた。
ゆかりのお城
青山忠俊の逸話
- 〈青山忠俊〉老職罷免・減転封・改易の処分そのもの
- 〈青山忠俊〉「寛永の三輔」と称された
- 〈青山忠俊〉「肌脱ぎの諫言」— もろ肌を脱いで斬れと迫った
- 〈青山忠俊〉刀を置いて「この青山の首をはねてから好きなようになされよ」
- 〈青山忠俊〉改易の原因 — 4つの説
- 〈青山忠俊〉家光の再出仕要請を固辞した
- 〈青山忠俊〉地名「青山」の由来 — 家康の「馬駆け拝領」
- 〈青山忠俊〉大坂夏の陣で水野忠清と先陣を争った
- 〈青山忠俊〉処分に一切弁明せず領地を返上した
- 〈青山忠俊〉家光の化粧を見て鏡を庭石に叩きつけて割った
- 〈青山忠俊〉家光が宗俊に「忠俊を罰したことを深く後悔している」と語った
- 〈青山忠俊〉「青山に過ぎたるものが二つあり」の評判