〈青山忠俊〉家光の再出仕要請を固辞した

秀忠没後の寛永9年(1632)、家光は忠俊を赦免し再出仕を要請したが、「私が戻れば上様が間違っていたと認めることになる」と固辞したという。赦免と、子・宗俊の寛永11年(1634)再出仕は系譜史料で確認できる事実性の高い部分。だが忠俊本人への要請と固辞の台詞は『徳川四天王』等の現代書が伝える逸話で、江戸期の原拠は未確認。死去まで幕政に復帰しなかったこと自体は事実で、「固辞」の大枠は史実に沿うが、台詞は後世の潤色とみるべき。

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