〈吉川元春〉上月城を落とし尼子勝久を自害させた

天正6年(1578)、元春・隆景の毛利軍約3万が播磨上月城を包囲。秀吉は後詰したが信長の指示で三木城攻めを優先して撤退し、城は見殺しにされた。7月、勝久は城兵助命と引き換えに自害。経過は『信長公記』や吉川家文書など複数史料で確認できる。

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