〈平岩親吉〉毒饅頭伝説 — 二条城会見と秀頼毒殺未遂

二条城会見(1611年3月)で親吉が毒饅頭を「自ら毒見してみせて」秀頼に勧め、加藤清正が身代わりに食べて防いだという話。同時代史料にはなく『十竹斎筆記』『摂戦実録』『新東鑑』など後世の雑史に見え、浄瑠璃・歌舞伎で潤色された。清正の死は会見の3か月後(死因は病が通説)、親吉の死は9か月後で、即効性の暗殺劇とは時系列が合わない。豊臣恩顧大名の相次ぐ死から生まれた陰謀論的憶測で、判定は明確に俗説。ただし親吉が会見の年に没した事実が伝説に妙な現実味を与えている。

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