〈相馬顕胤〉戦死者への17日間の法要と、百姓へのねぎらい

同慶寺で「此者どもの忠死、言語に尽くし難し」と17日間の法要を営み、戦死者の留守宅を弔問、兵糧輸送の女場村・福岡村の百姓を訪ねて労をねぎらったという。典拠は『東奥中村記』『奥相史』『奥相茶話記』で、名君イメージの形成を含む可能性が高い。ただし両村が領主直轄的な村だったという背景には実態が反映されているとみられる。

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