〈本山茂辰〉国親の遺言「本山を駆逐することが一番の供養」

浦戸籠城中に国親が急病で包囲を解き、長浜の戦い直後(永禄3年6月)に死去したことは確実で、撤退の大枠は史実と整合する。だが「本山を駆逐することが一番の供養になると心得よ」という遺言は長宗我部側の物語として伝わるもので、言葉どおりの発言があった証拠はない(国親ページと同一判定)。初出:『土佐物語』。

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