〈本多正信〉大久保忠隣の改易は正信父子の讒訴

慶長19年(1614)正月の忠隣改易は本多父子の讒言が主因だった、という説。初出は『慶長年録』が正信の讒訴を記し、この筋書きが『徳川実紀』に引き継がれた——つまり江戸期編纂物上の一説であり、同時代史料で讒訴を直接示すものはない。改易の原因は無届婚姻(表向きの理由)、大久保長安事件への連座、豊臣家との親近、秀忠側近筆頭としての勢力削減、家康の意向そのものなど複数の説があり、真相は不明。本多・大久保両派の権力抗争が背景にあった可能性は高いが、「正信が讒訴して失脚させた」と断定はできない(当サイト大久保忠隣ページ参照)。

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