〈遠山綱景〉汚名返上のための「抜け駆け」だった
綱景・富永直勝が本隊(北条綱成・氏政)より先行して江戸川を渡河し、正月8日に戦死したことは北条方の感状・同時代史料と諸記録が一致する。しかし「汚名返上・功名争いの抜け駆け」という動機付けは『北条記』『関八州古戦録』由来で確証がない。渡河点確保のための先遣隊が里見軍の迎撃で壊滅したとみる軍事的な解釈もある。
綱景・富永直勝が本隊(北条綱成・氏政)より先行して江戸川を渡河し、正月8日に戦死したことは北条方の感状・同時代史料と諸記録が一致する。しかし「汚名返上・功名争いの抜け駆け」という動機付けは『北条記』『関八州古戦録』由来で確証がない。渡河点確保のための先遣隊が里見軍の迎撃で壊滅したとみる軍事的な解釈もある。