〈結城晴朝〉天正15年頃、実は一度朝勝に家督を譲っていた

天正15年(1587)初め〜18年4月の結城氏文書に晴朝の花押が見えないことから、一度隠居して朝勝に譲位したと推定する市村高男説(2005)。天正14年に重病で花押も乗馬も困難だったとする竹井英文説(2016)が補強する。通説(朝勝は養子のまま廃嫡)を修正する近年の有力説。

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