〈南部晴政〉没年3説——1582年か、1572年か、1581年クーデターか

通説は天正10年(1582)正月没(『南部史要』)。一方、文久元年(1861)編纂の『三戸南部系図』は元亀3年(1572)没とする。さらに近年、熊谷隆次氏は櫛引八幡宮の造営記録などから「天正9年(1581)頃に信直派のクーデターで晴政が排除された」とする説を提示。系譜・記録は江戸期編纂で矛盾が多く、没年ひとつ確定できないのが実情である。

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