〈南部晴政〉信直「暗殺未遂」——毘沙門堂の待ち伏せ
晴継誕生後の晴政・信直の不和自体は、後年の家中分裂から見て実在したとみてよい。だが「当主自ら養子を待ち伏せ、鉄砲の応射で落馬した」という元亀3年(1572)毘沙門堂の一件の初出は『八戸家伝記』で、同時代史料の裏付けはない。信直の正統性を語る側の記録であり、信直を被害者として描く動機がある点に留保が必要。細部は物語的脚色とみるのが穏当。
晴継誕生後の晴政・信直の不和自体は、後年の家中分裂から見て実在したとみてよい。だが「当主自ら養子を待ち伏せ、鉄砲の応射で落馬した」という元亀3年(1572)毘沙門堂の一件の初出は『八戸家伝記』で、同時代史料の裏付けはない。信直の正統性を語る側の記録であり、信直を被害者として描く動機がある点に留保が必要。細部は物語的脚色とみるのが穏当。