〈大崎義直〉乱後、義直は養嗣子義宣を辻堂で謀殺した

『伊達正統世次考』(巻9上末尾)は、天文19年(1550)、葛西領桃生郡辻堂で「義直の討手」が義宣を殺したと記す。一方『会津四家合考』は病死とする。一般には暗殺説が採られるが(佐々木慶市氏)、いずれも江戸期編纂物で、殺害の状況や命令系統を示す一次史料はない。「冷徹に謀殺した」と断定はできず、両説併記が誠実である。

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