〈本山茂辰〉実は出家して20年生きた?——「本山大夫法師殿」の謎
朝倉慶景氏は、天正末期編纂の『長宗我部地検帳』に見える「本山大夫法師殿」(「殿」号は本山氏嫡流のみに使われ、親茂兄弟は別に記載がある)を茂辰に比定し、降伏・出家を条件に助命され元親の庇護下で天正末期まで生存したとする説を提唱した。確定ではないが、一次史料に基づく有力な仮説である。初出:朝倉慶景前掲論文(『長宗我部地検帳』の分析)。
朝倉慶景氏は、天正末期編纂の『長宗我部地検帳』に見える「本山大夫法師殿」(「殿」号は本山氏嫡流のみに使われ、親茂兄弟は別に記載がある)を茂辰に比定し、降伏・出家を条件に助命され元親の庇護下で天正末期まで生存したとする説を提唱した。確定ではないが、一次史料に基づく有力な仮説である。初出:朝倉慶景前掲論文(『長宗我部地検帳』の分析)。