〈本山茂辰〉鴨部宮前の決戦で長宗我部軍を撃退した
永禄5年(1562)9月、朝倉城下で元親軍と激突し、嫡男・貞茂の奮戦で勝利、敵511人を討ったとされる。ただし本山方も320人が戦死し、山本大は「痛み分け」と評する。数字は軍記系で精度は保証できないが、この時期に本山方が一度押し返したこと自体は諸書一致。初出:『土佐物語』、山本大『長宗我部元親』35頁。
永禄5年(1562)9月、朝倉城下で元親軍と激突し、嫡男・貞茂の奮戦で勝利、敵511人を討ったとされる。ただし本山方も320人が戦死し、山本大は「痛み分け」と評する。数字は軍記系で精度は保証できないが、この時期に本山方が一度押し返したこと自体は諸書一致。初出:『土佐物語』、山本大『長宗我部元親』35頁。