〈島津豊久〉決戦前夜、三成に夜襲を進言して却下された

夜襲を進言し、却下されて激怒したという話は江戸中期の二次的編纂物『落穂集』が出どころで、島津側史料にほぼ見えず、桐野作人氏が史実性に疑問を呈する。石田家使者・八十島助左衛門を馬上から怒鳴り返した話も編纂物由来。三成方との不和を強調する文脈で増幅された逸話群である。

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