〈伊東義祐〉雪中の米良越え — 豊後落ち
天正5年12月(西暦1578年1月)、落合兼朝の離反で平地の道を塞がれ、猛吹雪の米良山中・高千穂越えを敢行した逃避行は史実。転落死・凍死・自決が相次ぎ、義祐が切腹を図って止められたとも伝わる。「120〜150名が80名弱に減った」という人数は『日向記』系の数字で確定的史料はない。
天正5年12月(西暦1578年1月)、落合兼朝の離反で平地の道を塞がれ、猛吹雪の米良山中・高千穂越えを敢行した逃避行は史実。転落死・凍死・自決が相次ぎ、義祐が切腹を図って止められたとも伝わる。「120〜150名が80名弱に減った」という人数は『日向記』系の数字で確定的史料はない。