〈一条兼定〉42歳の死——熱病か、毒殺か

天正13年(1585)7月1日、戸島で熱病により死去とするのが通説(高野山成福院過去帳等)。毒殺説も流布するが一次史料の裏付けはない。嫡男・内政については同過去帳が「翌日の7月2日死去」と記す一方、1580年没説・元親による毒殺説(『系図纂要』)もあり記録が大きく食い違う。父子ほぼ同時の死を不自然とみる見方も古くからあるが確証はない。

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