〈真田守信〉幕府の詮議を「信尹の孫」報告で切り抜けた

召し出し直後に幕府から問い合わせがあり、藩が「大八は石合戦で死亡。守信は信尹の孫」と回答して不問になった、とするのが通説(德川宗英・丸島和洋らが紹介)。守信の片倉改姓は史実だが、詮議の経緯は編纂物由来。異説側は「回答は虚偽ではなく事実だった」とみており、「機転の弁明」か「ありのままの回答」かが争点である。

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