〈吉川元春〉秀吉に仕えるのを潔しとせず隠居した

家督を元長に譲ったこと、四国攻めに出陣せず秀吉との対面を避けたことは文書からも裏付けられる。だが「臣従を拒んで即座に隠居」の劇的な構図は『陰徳太平記』の脚色の可能性があり、発給文書の分析からは隠居の実態を天正11年(1583)9月以降とする説がある。健康悪化、元長への権限移譲、隆景との役割分担など複合的な説明が近年は有力。

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