〈河田長親〉御館の乱で「はじめ中立」だった

一族の河田重親や古志長尾家の上杉景信が景虎方についたのに対し、長親は当初どちらにも与せず、天正6年(1578)12月頃までに景勝方として行動したことが文書から確認される(態度決定の時期には諸説)。越中戦線で織田軍と対峙する立場上、内乱への即応が不可能だった事情も大きい。一族が敵味方に割れた中での決断だった。

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