〈遠山綱景〉「隼人佑」と「政景」は別人である

国府台で共に戦死した「隼人佑」は次男(嫡男藤九郎は天文16年に早世)。家督を継いだのは僧籍にあった政景で、政景ものちに隼人佑を称したため両者は混同されやすい。政景の代に江戸城代を解かれ、孫・犬千代の代の小田原落城(1590)で武蔵遠山氏は歴史から姿を消した。

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