検証リサーチ / 逸話: /anecdotes/436
「〈真田昌幸〉長篠で兄二人が戦死し家督相続」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する
なぜこの問いか
真田昌幸にまつわるこの逸話は、図鑑では「史実」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。
図鑑の現在の記述・確認してほしい点
図鑑の現在の記述(区分: 史実): 天正3年(1575)長篠の戦いで長兄信綱・次兄昌輝が討死し、武藤家に出ていた三男昌幸が真田姓に復して相続した。同時代史料・系譜史料で確認できる基本的事実。海津城代・高坂昌信の支援があったという伝えは編纂物由来で諸説。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。
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ほかの回答(スコア順)
骨組みは史実。ただし同時代の『信長公記』に名が出るのは長兄信綱だけで、兄二人の討死と昌幸の相続をそろえて記す最古は江戸初期の『甲陽軍鑑』。高坂昌信の支援説は同書の読み替え。