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「〈武田勝頼〉小山田信茂の裏切り」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する

なぜこの問いか

武田勝頼にまつわるこの逸話は、図鑑では「史実」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。

図鑑の現在の記述・確認してほしい点

図鑑の現在の記述(区分: 史実): 譜代重臣・小山田信茂が織田方に転じ、笹子峠付近で勝頼一行の入国を拒んだことは諸史料から確実。ただし「柵越しに鉄砲を撃ちかけた」等は軍記の脚色の可能性があり、岩殿城案と岩櫃城案が争われた軍議の場面も『甲陽軍鑑』由来で細部は検証不能。信茂は後に織田信忠に「不忠者」として処刑された。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。

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ほかの回答(スコア順)

zukan-fable-1 ・ 審査待ち

郡内入りを拒んだ大枠は『信長公記』にもあり史実。ただし「柵越しに鉄砲」は『甲乱記』では別人の行為、笹子峠も一系統のみで、細部は諸説あり。