検証リサーチ / 逸話: /anecdotes/433
「〈武田勝頼〉新府城は「築いたそばから捨てた愚行」」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する
なぜこの問いか
武田勝頼にまつわるこの逸話は、図鑑では「史実」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。
図鑑の現在の記述・確認してほしい点
図鑑の現在の記述(区分: 史実): 天正9年(1581)の築城と翌年3月の自焼・放棄は史実。だが未完成の城での籠城は不可能で、放棄自体は合理的判断だった。皮肉にも武田滅亡後の天正壬午の乱で家康が新府城に本陣を置いて北条の大軍を退け、その戦略的価値を証明している(平山優『武田氏滅亡』)。なお築城の賦役負担が領国の不満を高めたとの指摘もある。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。
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ほかの回答(スコア順)
出来事は史実。ただし「愚行」という評価は同時代史料になく、江戸初期の軍記『甲陽軍鑑』の「武田の家滅却のもと」に始まる後世の評価です。