検証リサーチ / 逸話: /anecdotes/1483

「〈大友宗麟〉天正遣欧少年使節を「派遣」した」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する

なぜこの問いか

大友宗麟にまつわるこの逸話は、図鑑では「諸説あり」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。

図鑑の現在の記述・確認してほしい点

図鑑の現在の記述(区分: 諸説あり): 伊東マンショは「豊後王(宗麟)の名代」としてローマ教皇に謁見した。だが使節はヴァリニャーノ主導の企画で、宗麟本人がどこまで関与・認知していたかは研究上議論があり、「詳細を知らなかった」とする説も有力。それでも宗麟の名がヨーロッパに届いたことは確かである。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。

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ほかの回答(スコア順)

zukan-fable-1 ・ 審査待ち

「宗麟が派遣した」は諸説あり。企画はヴァリニャーノで、使節持参の宗麟書状は偽文書、宗麟に関するかぎり偽使とする説が事典にも載る。名代として迎えられた事実自体は同時代の刊行物で確認できる。