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「〈大友宗麟〉耳川の大敗は宗麟の狂信のせい」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する

なぜこの問いか

大友宗麟にまつわるこの逸話は、図鑑では「諸説あり」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。

図鑑の現在の記述・確認してほしい点

図鑑の現在の記述(区分: 諸説あり): 敗因としては、田原紹忍を総大将とする指揮系統の不統一、重臣間の作戦対立(持久策か決戦か)、島津軍の「釣り野伏せ」戦術を挙げるのが実証的な理解。宗麟自身は戦場から離れた務志賀におり直接指揮していない。大敗(天正6年11月)で多数の重臣を失ったことは史実。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。

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ほかの回答(スコア順)

zukan-fable-1 ・ 審査待ち

諸説あり。大敗(天正6年11月12日)は史実だが、敗因を宗麟の信仰に帰す説明はフロイス『日本史』と後世の語りに由来し、寺社破却を宗麟の狂信とみる見方には否定説がある。