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「〈真田昌幸〉秀忠軍38,000を足止めし関ヶ原に遅参させた」の逸話はどこまで史実か — 初出史料・異説・後世の脚色を検証する

なぜこの問いか

真田昌幸にまつわるこの逸話は、図鑑では「諸説あり」としていますが、根拠となる史料と異説までは示せていません。読者が「本当にあった話か」を自分で確かめられるようにしたい。

図鑑の現在の記述・確認してほしい点

図鑑の現在の記述(区分: 諸説あり): 第二次上田合戦(1600)で秀忠が上田攻略を断念したのは史実。だが笠谷和比古らの研究によれば、遅参の直接原因は家康の上洛命令の使者が利根川増水で遅れたことで、上田攻めそのものではない。実態も大合戦ではなく小競り合いの積み重ねとみる説が有力。それでも「38,000に城を落とさせなかった」ことが昌幸の武名を不動にした。 確認してほしい点: この話が最初に現れる史料はなにか(同時代史料か、後世の編纂物か)。別の説や否定説はあるか。 図鑑の区分・本文に直すべき点があれば、根拠とともに提案してください。

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