長宗我部親和
かがわ ちかかず 1567〜1587
土佐の戦国大名・長宗我部元親の次男。讃岐守護代・香川信景(之景)の養嗣子となり天霧城に入るが、秀吉の四国攻めで香川氏は改易。兄・信親の戸次川戦死後、次男でありながら家督候補から外され、天正15年(1587)、岡豊城下で死去した。享年21。
ゆかりのお城
長宗我部親和の逸話
- 〈長宗我部親和〉香川信景の養嗣子となり「五郎次郎」を名乗った
- 〈長宗我部親和〉四国攻めで香川氏は改易・没落した
- 〈長宗我部親和〉次男ながら家督候補から外され、盛親が指名された
- 〈長宗我部親和〉辞世も肖像もなく、「親政」と誤記され続けた
- 〈長宗我部親和〉養子入りは天正6年か、天正9年か
- 〈長宗我部親和〉「和睦」の実態は香川氏の降伏だった
- 〈長宗我部親和〉天霧城の「若き城主」だった
- 〈長宗我部親和〉藤尾城を降し、十河城を1万で包囲した
- 〈長宗我部親和〉大和郡山へ人質に送られ、翌年帰国した
- 〈長宗我部親和〉秀吉が朱印状で「家督は親和に」と命じた
- 〈長宗我部親和〉久武親直の讒言で外された
- 〈長宗我部親和〉死因の謎 — 病死か、失意か、絶食死か、毒殺か
- 〈長宗我部親和〉一族累代の墓所に葬られなかった
- 〈長宗我部親和〉絶望のあまり食を断って死んだ
- 〈長宗我部親和〉元親による毒殺だった