〈北条氏直〉家康と80日対陣し、督姫婚約で和睦した
天正壬午の乱の若神子対陣と天正10年10月27日の和睦は同時代史料で確認できる。真田昌幸らの離反で不利化したが、「上野=北条領公認+徳川の姻戚」という実利を得ており、単純な敗北ではなく外交的妥結と評価される。この時の沼田領の約束が、のちの名胡桃城事件の遠因となった。
天正壬午の乱の若神子対陣と天正10年10月27日の和睦は同時代史料で確認できる。真田昌幸らの離反で不利化したが、「上野=北条領公認+徳川の姻戚」という実利を得ており、単純な敗北ではなく外交的妥結と評価される。この時の沼田領の約束が、のちの名胡桃城事件の遠因となった。