〈穴山梅雪〉内応の経緯——人質脱出と家康の仲介

天正10年2月25日の甲府人質(母・妻子)の脱出、2月末〜3月1日頃の離反は『家忠日記』『信長公記』『記録御用所本古文書』等の同時代史料で確認できる(谷口克広・柴裕之氏)。交渉は家康経由(実務は今川旧臣の取次とされる)で信長の承認を得る形。このタイミングの離反が武田の防衛計画を崩壊させた点は諸研究が一致する。

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