〈阿蘇惟豊〉日向鞍岡への逃亡と甲斐親宣の支援(1517復帰)

日向鞍岡への逃亡と、甲斐親宣の支援による永正14年(1517)の矢部奪還は諸史料で一致し、以後の甲斐氏重用の起点として研究上も重視される。「数百の兵でたやすく落とした」「惟長は家臣3人のみで薩摩へ」という規模の描写は軍記的で諸説(初出は『肥後国誌』系軍記か)。

関連

〈阿蘇惟豊〉日向鞍岡への逃亡と甲斐親宣の支援(1517復帰) | デジタル城下町 お城図鑑