〈増田長盛〉子・盛次の豊臣方参加への連座で自害を命じられた

徳川義直に仕えていた盛次が大坂夏の陣で豊臣方に転じ、慶長20年(1615)5月6日の八尾の戦いで戦死(藤堂勢との激戦)。大坂落城後、長盛は連座を問われ5月27日に自害した。骨格は史実だが、盛次の離脱の経緯は「出奔」説と「義直に暇を願い出て許された」説(WEB歴史街道ほか)が併存し、細部は諸説。

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