〈増田長盛〉内通は報われず、改易・高野山追放
西軍敗戦後の9月25日に出家して謝罪、9月27日に改易を申し渡され高野山へ。金1900枚・銀5000枚を差し出して助命されたとする(二木謙一『関ケ原合戦』1982、207頁)。内通していたのに所領を全て失った処分は、減封で済んだ毛利と比べても厳しく、「家康は情報だけ受け取り、両属者を信用しなかった」ことを示す好例とされる。高野山退去後に岩槻預かりとなった時期の細部は諸説。
西軍敗戦後の9月25日に出家して謝罪、9月27日に改易を申し渡され高野山へ。金1900枚・銀5000枚を差し出して助命されたとする(二木謙一『関ケ原合戦』1982、207頁)。内通していたのに所領を全て失った処分は、減封で済んだ毛利と比べても厳しく、「家康は情報だけ受け取り、両属者を信用しなかった」ことを示す好例とされる。高野山退去後に岩槻預かりとなった時期の細部は諸説。