〈浅野幸長〉二条城会見で秀頼を警固した

慶長16年(1611)3月28日の家康・秀頼会見で、福島正則が病を理由に辞退する中、清正と幸長の2人が秀頼に付き添い警固したことは『当代記』等で確認できる。会見後まもなく清正、続いて幸長と豊臣恩顧の大名が相次いで死んだため「家康による毒饅頭」の俗説が生まれたが、後世の講談的憶測で史料的根拠はない。加藤清正ページの判定と整合。

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