〈浅野幸長〉25歳で紀伊37万石の大抜擢

関ヶ原戦後の慶長5年10月、紀伊一国37万6560石を与えられ和歌山城主となった。岐阜城攻めや毛利輝元との大坂城明け渡し交渉(井伊直政と共に仲介)の功に加え、家康が畿内南縁の要地——秀頼の大坂城を南から扼する位置——に信頼できる武断派大名を置く戦略配置でもあった。初出:『寛政重修諸家譜』、紀州藩関係史料。

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